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白水社のエクス・リブリスが
刊行十周年記念に作った冊子のロゴを提供。
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移民たち
W.G.ゼーバルト 白水社
AUSTERLITZ
アウステルリッツ
W.G.ゼーバルト 幻戯書房
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星をつなぐために
沢木耕太郎 岩波書店
KOUTARO SAWAKI SESSIONS 4
装画 桑原紗織
家風を盗んだ男
善渡爾宗衛 杉山淳/編 幻戯書房
THE MAN WHO STOLE KAFU
装画 タダジュン
家風を盗んだ男
善渡爾宗衛 杉山淳/編 幻戯書房
THE MAN WHO STOLE KAFU
装画 タダジュン
家風を盗んだ男
善渡爾宗衛 杉山淳/編 幻戯書房
THE MAN WHO STOLE KAFU
装画 タダジュン

13F COFFEE。壁にある大きな写真をめぐる、ふたつのエッセイ。
*****
SAYANG 朝岡英輔
1
2016年にシンガポールへ小旅行をした。マレーシアのクアラ・ルンプールで出入国をして、シンガポールまでは高速バスで移動。直接飛行機で行けばいいものを、わざと遠回りで移動するという事をよくしていた。
シンガポールへは、Singapore Writers Festivalという文芸フェスの撮影に行くのが目的だった。といっても、何か公式なオファーがあったわけでもなく、柴田元幸さんの朗読パフォーマンスに小島ケイタニーラブくん、伊藤豊さんといった仲間が音楽で参加すると聞いて、それは面白そう!と思いプライベートの旅を兼ねて駆けつけたのが実態だ。結果的には、記録写真の撮影に加え(この時撮影した写真を、柴田さんは今でも使ってくれている)、柴田さんとのパフォーマンスとはまた別で行われた、小島くんと伊藤さんの音楽ライブパフォーマンスに写真のスライド投影で参加したりした。会場は旧国会議事堂で、リー・クアンユーの座っていた席も客席の一つとして使われていた。今回のフェスのテーマとして「SAYANG」という言葉が選ばれており、街のあちこちで目にした。移動中の車で、運転手の方に「SAYANG」の意味を尋ねると、彼は少し間を空けてから一言、「LOVE」と答えた。
一通りのイベントが終わったシンガポール滞在の最終日には、Books Actuallyという本屋へ取材に行った。いわゆる突撃取材だった。そこは出版も行なっている独立系書店で、店主のレックに柴田さんがインタビューをして、私はお店の写真を撮影した。尻尾だけが縞々模様という珍しい白猫「レモン」が店番としてゴロゴロ寝転がっていた。良いお店だった。取材が終わり街に戻り、そろそろ解散しましょうかというタイミングで、レックの写真を一枚も撮っていない事に気付いた。突撃取材というものに不慣れだった私はどこか気後れしていて、無意識に店主にはカメラを向けないようにしていた。柴田さんと相談すると、お店の記事ならやはりあの店主の写真は欲しいよね、という話になった。
皆と別れた後、一人お店に舞い戻った。レックは出かけていて、近くのお店で汁なし混ぜ麺を食べ、コーヒーを飲んで時間を潰した。時間になりお店に行くと、レックは気さくに撮影に応じてくれた。レックのポートレイトと、ついでにレモンの写真を撮影し、良かった、一安心、と思い街へ戻り、しばし街をぶらぶらと歩いた。いつの間にか夕方になっていた。今日中に高速バスでマラッカに移動するつもりだった。旅先では日が暮れたら移動しないという、いつか決めたはずの旅の鉄則をが一瞬頭をよぎり、しかし消えていった。
2
夕焼けに染まるジョホール水道では、仕事を終えシンガポールからマラッカに帰る人々が、海の上に架かる橋の上で行列して国境ゲートに並んでいた。おそらくはパスポートを毎回見せるんだろう、こんな生活もあるんだな、と思った。
マラッカに着いた時にはすっかり夜も更け、宿がある繁華街まではとても歩けない距離のバスターミナルにぽつねんと降り立った。同じバスから降り立った人々は、さっさとどこかへ歩いて消えていった。見知らぬ国の見知らぬ街の夜に、緊張した。路線バスの終バスは終わっていた。いかがわしい、いかにもぼったくりの得意そうなタクシーたちだけがその扉を開け、数人の運転手たちとともにニヤニヤとこちらを待ち受けていていた。他に選択肢はなかった。目も合わせたくないような気持ちで声をかけ、渋々乗り込んだ。値段は定額らしく、値切れなかった。安くはないが高くもない金額だった。繁華街へと向かう社内ではラジオからマレーシアの歌手と思しき曲が流れて、ルームミラーには麻の葉を象ったチャームがぶら下がっていた。運転手の男は妙に軽いノリで、声が高かった。レゲエ好きだったりするのかしら、なんて思うと少しだけ緊張が緩み、この曲は誰の曲?と聞いた。アイ・ドント・ノー。カタコトと言ってもいい英語で返事が返ってきた。マレーシアはマレー系と中華系を中心にインド系、少数民族系などの人種が入り混じっている。男はマレー系だろうか、痩せていて浅黒い肌をしていた。まぁいいか、と思い、15分ほどでタクシーは繁華街へ着いた。
ランドマークらしい看板のある広場で、夜中にも関わらず薄暗い中をいくつもの人影がうろついているのが車の窓から見えて、またも緊張が戻る。宿の地図を運転手に見せて、ここまで行ってほしい、と伝える。宿は、車の停まった中央広場から少し歩いたチャイナタウンにあった。ノー、ノー。ヒア・イズ…と、ここがお前の目的地だから降りろと繰り返した。融通の効かなさとこんなところで降りて行きたくないという恐怖に、つい感情的になって、怒りと不信が沸きあがった。しかし仕方がない。お金を払い下車しようと思ったが、大きな金額の札しかない。札を手にちらりと運転手を見ると、なんだか彼の目の奥が昏く光った、ように見えた、気がした。札を渡してそのままお釣りをくれなかったらどうしよう、という想像が頭にまとわりついた。お釣りを先に用意して。そうしたら払うから。と、私はトゲのある声で言った。しかしなかなかお釣りを出してこない。とうとう、自分の中の嫌悪の感情が外に、目に見える形で噴き出した。こういう事は夢の中ではよくあるのだが、現実ではこの時くらいしか覚えていない。
男はわざとらしく両手を挙げ、弁明するように、アイム・ノット・チーティング・ユー!と繰り返した。妙に憐れな響きに聞こえた。ようやく出してきたお釣りと引き換えにお札を渡し、下車した。車はすぐに走り去った。私の目は不信と怒りと恐怖への反抗に醜く濁っていた。
暗い道を、地図を頼りに歩いた。何度か道を行く人に話しかけられるがすべて無視した。ここにありそうだ、という角を曲がると、一軒のカフェが開いている。ただし道はほぼ真っ暗で、かろうじて店が開いているという事と、店の前の道にテーブルと椅子が広がり5、6人がバラバラに座っているという事だけがわかった。視線を感じるのをまた無視しつつそこを通りすぎると目的の宿がある、はずだった。しかし、カフェの前より一層暗い道には何も見えなかった。カフェの店主に宿の名を告げて尋ねると、隣だという。その家の扉は固く閉ざされ、鋼鉄の扉に錠前が掛かっていて、完全に沈黙していた。
呆然と扉の前に立ち尽くしていると、カフェの前に座っていた一人の男が立ち上がり、フラフラとこちらに近づいてきた。背がひょろっと高い。暗闇に加えて薄い逆光で顔は全く見えない。身を固くした私の横を男が通り過ぎ、扉の前にたつと、すごい力で扉を叩き始めた。バン!バン!と、大きな音が周囲に何度も響き渡る。しばらくすると、何やら中から音がして、ガチャガチャと鍵が外れる音がして扉が開くと、激昂し顔を真っ赤にした背の低い男が出てきて、男に何かをまくしたてた。ふたりは何かを会話をして、やがて事態が通じたのか、宿の男は中に入るよう言ってくれた。わたしは背の高い彼に、ありがとう、と言った。男は特にリアクションも薄い様子で、またフラフラと席に戻っていった。
宿の男は一転して朗らかで優しく、廊下の突き当たりのキッチン兼用の狭い一角で部屋を決めた。夜中の到着を詫び、支払いなどした後、男はお腹が減っただろうとインスタントラーメンを作ってくれた。そっちがシャワーとトイレだよ、と奥の真っ暗な部屋を差した。扉はなく、灯りの着いていないその部屋はただただ闇にしか見えなくて、なんだかネズミでもいたら嫌だな、とうっすら思った。
部屋に戻ると、やたらうるさいエアコンの下でベッドに横になった。夜中に誰か入ってきたらどうしようと思い、内開きのドアに鍵をかけると椅子を斜めに立てかけ、扉が開いたら倒れてすぐわかるようにしてようやく眠りに落ちた。
翌朝。部屋を出ると、明るい陽の光と、水のいい匂いがした。マラッカは海の街だけど、海の香りというわけではない。昨夜真っ暗に閉ざされていた玄関は、壁一面が全て外されていて、通りに開かれたオープン・スペースのようになっており、その明るさに昨夜の真っ暗な思い出が重なり、信じられないような気分だった。宿の奥に行くと、昨夜の男はおらず、代わりに本来の主人たる女性(なにしろその宿の名前には、その女性と思しき名前がついていた)が、洗面所の掃除をしていた。いい水の匂いは、そこから来ていた。排水溝までゴシゴシと柄つきタワシで丹念に擦っていて、清潔な空気に満ちていた。ネズミがいそう、なんて思った自分を恥じた。それ以上に驚いたのが、昨夜はただ闇にしか見えていなかったその洗面所が、明るく光に満たされていた事だった。ふらふらと洗面所に入り見上げると、雲一つない青空が見えた。天井はなかった。昨夜暗闇だと思っていたものは、ただの夜の闇だったと気付いた。
外に出て街を少し歩くと、爽やかな涼しさの中に1日が始まる気配が漂っていて、昨夜自分が感じ続けていた不信・恐怖・嫌悪はいったい何だったのか、と思うくらいに気持ちが良い空気だった。自分が刺々しい敵意を向けた運転手や、暗闇から誘う人々や、不潔で真っ暗だと思った部屋は、なんだったのか、ただ自分の目が濁っていて、全てを悪く見せていただけではないか、と思った。これはほとんど一瞬に近い時間での直観で、自分にとってはひどい革命のような気さえしたが、道を行く人々やマラッカの街は、そんな事はまるでどうでもいいという風で、ただいつもの1日をまた始めるだけのようだった。
3
その日の昼にまた高速バスに乗った私は、帰国するため、夕方にクアラ・ルンプール国際空港(KLIA)に到着した。朝から爽快に晴れ続いた一日は、焼けるようなオレンジ色のグラデーションで終わろうとしていた。低い角度でやってくる眩しい夕陽にクラクラし、ボーッとした感動とともにシャッターを切った後、自分が間違った空港ターミナルにいる事に気づいた。飛行機のフライトまであまり時間がない。最後まで、笑えない一人相撲続きの旅だった。急いで見知らぬ空港を走り、脇には文芸フェスでもらったトートバッグを抱えていて、そこには「SAYANG」の文字が踊っていた。
*****
旅人の背にあるもの 緒方修一
梅田行きの深夜バスを途中下車すると京都は夜明け前。遮光カーテンに塞がれた鉄製の箱の中。振動に抗ったせいで身体のあちこちが軋む。町が「らしく」なるにはほど遠い。碁盤の目で隔てられた色のない町屋通りでブルーハワイ色のソーダとタイツが滑稽すぎる。
グラスの氷にGothic Lolitaのアタシが映る。いくらストローで突き回してもアタシは溶けない。
鬱に引きずりこむ。と言われる厳冬に乾いた音がカラコロと響く。目当ての和装屋が開くまで、呆然とやり過ごすのがあの旅人の決まりだ。服漁りさえ済めば安定の漫喫になだれ込むことができる。あとは帰りのバスまで「らしい」写真さえ納めたら旅の体裁は整う。和装屋にはジャパニーズテイスト爆盛りの着物や小物類。服は磨耗しながら町を輪廻する。エッジの利いた艶やかさが安価とあって、遠方からyoutuberはじめ音楽や演劇系の若者や外国人たちが訪れる。メニューに醤油ラーメンとかあったら優しかったかな。思いつきが横切る。ストローを回しながら携帯でメイクを仕上げるGothic Lolitaの背後には大きな写真がある。微妙に傾いたまま修正されることもなく、開店してからずっと同じ場所に吊るされている。写真はコンセプトなどなかったはずの店の象徴になった。店のカウンターに入ると写真と睨みあう長い一日が始まる。不思議なことに壁の中央に君臨していながら、写真について客に訊かれた覚えがない。素敵と褒められることがあっても、概ね写真を含めた内装に愛想をこぼしているだけで、モチーフや写真家に誰も興味を持たない。写真でなく抽象画と思われているフシもある。所詮気取った出版装丁なんちゃら系店主にありがちな何かしら。そんな程度だろうし面倒だからそっとしておこうというあたりだろう。
私にはその写真が思いの詰まった一枚として映る。文章で言えば句読点だけが列んでいるような空虚が伝わる。そのとき朝岡は放心していたのだろう。師や親に置き去りにされた子どものように、残された細い芯だけがシャッターを切っている。そもそも目標を失くした写真孤児の途上だった。朝岡が背を向け走り去った後も、この風景は誰かを待ち続けたのだろう。
座っているソファーの脇には傷んだキャリーバッグ。どこまでも視界は狭く氷の回転は加速する。東京に戻ればGothic Lolitaのささやかな反撃が始まる。句読点のような写真が旅人の肩に手をかける。
「途方に暮れるのも……悪くないぜ」
その声は未だ届かない。(了)

