緒方修一のオフィシャルサイト presented by OLDNEWS COMPANY

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    はじめに 加工が不必要な意匠

     読む者に本が届く事が、出版のひとつの区切りだとして装丁はその間際の短かい時間でしか関わっていない。原稿の無い段階で装丁は進まない。最近では、そんな偶然の闖入者たちが、〈この本は自分が作りました〉と顔をして触れ回っているから笑える。書籍をデザインの側からだけで見たらそんなものだろう。

     しかもそこに「著者も喜んでいる」などが後付けのポイントが加わると装丁家はさらにつけあがる。そんなもんで誰も喜んでる訳ないだろうに。それでも生来のコンプレックスなのかそこに異様な興奮を憶えるらしい。

     たいした技巧もないまま仕上がった配置を〈装丁〉と称し〈作品〉と呼ぶのだから呑気なものだ。そもそも〈作品〉など誰も頼んでいないだろうに。私が作家だったらそんな得体の知れない者に頼む気にはならない。

     原稿だけをダウンロードして本を読めたら、嘘くさい装丁の影響を受けず素直に読めていい。流通上、仕方なく作っておかなくてはならない装丁はすでに装丁ではない。そんな装丁は死んでいる。それなら書店の包装紙の方が私は好きだ。

     しかし書店の包装紙ほどの作家性を装丁家は必要としない。

     装丁は〝加工が不必要な意匠〟

     それが私の実感だ。本は文章にあり、その存在の〈滲み〉こそが装丁ではないだろうか。以上は自分へ釘を差すという意味で記しておく。​

     WEBという得体の知れないものに、今さら足を踏み入れる。思い起こせば、何のボタンかを確認することもなく、テカテカと点滅しているというだけですぐにそれを押して、ずいぶんと失敗してきたにもかかわらず、また答えの見えないボタンを押すわけだ。

     おかげで短時間でもこのためにいちいち仕事場から離れなくてはならなくなった。ちなみにここで書き留めるもの。それらは事実と限らないだけでなく矛盾に満ちたものになるだろう。そんな理路整然と新鮮さが欠落した断面図を開示する理由は自分自身のメモリーの精度が、最近極めて怪しいからにほかならない。

     遠い昔、誰かから、あるいは何かから受け取ったかも知れない伝承をOLDNEWSと呼ぶ。ここはその保管庫。

     しばらくでも見守ってただけたら幸いである。了