〈境界〉は絵のモチーフになるか?

    BookLOG  #006

     

     

     〈偶然〉が折り重なってできているのが世界だとしたら、偶然や奇跡という言葉はどうしてはびこるのだろう。 昨日作った本と今日作る本のタイトルが同じであっても特別偶然とは思わない。私は先日『奥のほそ道』という本の装丁をした。そしてまた今日『おくのほそ道』という新刊の装丁をしている。言葉はいつもループする。オマエにこないだの失敗を挽回するチャンスを与えよう。たとえ誰かにそう言われているとしてもどんな結果も突っ込みどころが残るだろうからジタバタしない。

     『奥のほそ道』のほうである。翻訳小説の舞台になる戦場の密林。その入り口。カバーはそんなイメージ。装画を安井寿磨子に頼る。勝手な思い込みだけれど自分はいつも彼女の花の絵に〈境界〉を見る。把握できるか分からない〈境界〉を銅版に刻んでいる気がする。

     〈偶然〉装丁をしたからといっていい本であるかどうかはまったく別の話である。それこそ奇跡に近い。しかし『奥のほそ道』は正統でいい。主人公はオーストラリア人で読んでる自分は日本人。舞台の戦場と同じ。小説はその距離を縮めたりはしない。距離をそのままに言葉がそっとつないでいるだけだ。言葉の役割りが際立っている。さすがブッカー賞。

     世の中には奇跡が起こることを待ち望む人たちであふれている……今の大人たちは黙ってそう信じて本や映画を作る。出来損ないの世の中で起こる逆転劇。劇っていうくらいだからお芝居なわけだ。同じ感想を持つイコール共感イコールエンタメならばそれほど不自由なことはない。

     自分が本を届けたい思うのは〈境界〉に向かう人たちである。彼らはいつどんな時も対等で自由である。了

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