誤った直感

     

    BookLOG  #005

     

     装丁した単行本の文庫化にかかわることは少なくない。読者層や時代性が違うとかいくらでも自分を誤摩化すことはできるが同じ本を二度作ることに変わりはない。過去に登った山の山頂を再び目指すというわけだ。装丁は自分の限界を形にすることが多い。その後、経験を僅かながら積んだからといって、過去の自分を簡単に打ち負かすことは容易ではない。再装丁という考えを止めて普段と同じく準備のないまま対峙する。空気が鎮まるのを待ち、その時が来るまでじっと手を動かさない。

     『カラスのジョンソン』には単行本と大きく異なる部分がある。著者名である。同じ本で変わることはめったにない。 当時ゲラを目で追いながら、この本は著者にとって最後の本になるような気がした。とても真っ直ぐな原稿だと思った。その正直さのラインは、既存の小説に見られた線を大きく超えてしまっていた。作家としての観察眼でなく、大衆に加担していない愚直さがあった。作家が正直に書くと本が出なくなるーーおぼろげに肌で感じていた定理が私の心のどこかにあったのだと思う。 直感が外れることは珍しいことではない。何度間違っても私は反省しない。私の装丁において〈直感〉ほど頼りになるものはないからだ。時が過ぎて『あん』という名著も出た。そして2018年。今でも出版は形を変えながら続いているかのようにも見える。

     文庫化。絵に頼るなら木内達朗氏がふさわしい。なにより彼に原稿を読んで欲しい。絵を依頼することで必ず叶うことがひとつある。それは読んだ人が一人増えることである。顔を見て依頼ができたらそこで終わり。後はおまかせする。イラストレーションについていつも自分は門外漢である。 題字はモンセンの欧文書体をバラバラにして日本語に組み直す。再構成とは聞こえが良すぎる。絵や文字を置くこと以外自分はなにもしていない。ただの配置屋。それでも今の自分の限界にはたどり着いた気がする。ちっぽけな限界が未来のかけらをつくる。 あの頃と変わりなく明川哲也は今もどこかで全力疾走しているはずだ。そして、時代はいつのまにかもう未来である。了

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