本に顔があるとしたら

    BookLOG #003

     

     それは何処だろうか。
     昔ならば本の所蔵のことを考えても、狭いスペースにすべての文字要素が入る〈背〉がその答えだと確信していたが所蔵されることのない今ではそう言いきないところがある。そもそも本は本であり、顔がなくとも仮面で十分なのかも知れない。

     一度たりともカバーの表一(表側)だと思ったことはない。よく書評記事の脇にスキャニングされたような本の写真が置かれているが、目にすると無性に腹立たしくなる。あれは決して〈書影〉と呼べるものではない。本の姿かたちすら判らないのだから顔とは呼べないだろう。

     本の顔は奥付だときっぱり言いきる編集者もいた。考えを巡らせても、それは変化していくもので答えはなくていい。
     画家・安井寿磨子さんにとってこのシリーズの木版画の作業は呪われた仕事、あるいは何かの罰ゲームにしか思えなかっただろう。そもそも木版でなくエッチングの大家である。私は安井さんに腱鞘炎を癒す間も与えることなく三百編に及ぶゲラの塊を送りつけ、百点の木版画を摺り下ろしてもらった。
     あの時、私は本の顔を安井さんに託していた気がする。編集にも安井さんがいま版画を彫っているという豊かな時間軸が加わった。出来上がった本を見ても、せっかくのその絵はカバーという白い紙で全面を覆われてすっぽりと隠されていてる。私には、今でもあの絵たちがざわめき、雄叫びを上げているのが確信できる。何故なら、あの〈表紙〉という場所に置いておけば、決して本文と離ればなれになることがないから。了

     

     

     

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